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金沢城

  戦国時代~江戸時代にかけて、石川県金沢市にあった平山城(平野の中にある山や丘に築かれた城)で、「日本100名城」の一つに指定されています。江戸時代には「加賀百万石」と言われた前田利家が城主となり、5重の天守閣を建設、4代目の前田綱紀は金沢城に隣接する大名庭園「兼六園」を造りました。 しかし、天守閣は落雷により焼失し、城内の建造物の多くも大小30回以上もの火災により失われたため、現在現存する遺構は、石川門、三十間長屋(さんじゅっけんながや)、鶴丸倉庫などわずかしかありませんが、そのすべてが国の重要文化財として指定されています。また金沢城の跡地は、金沢城跡として史跡に指定されています。 1999年からは石川県による復元整備事業が開始され、現在では復元された門や櫓の多くを見ることができ、近年では金沢城跡を中心とした城下町の景観や隣接する兼六園を世界遺産にしようという動きも進められています。

歴史

 金沢城の前身は、1546年に建設された浄土真宗の寺院、「尾山御坊(おやまごぼう)」でした。この寺院はただの寺院ではなく、加賀一向一揆の拠点として機能させるため、堀や柵を備えた要塞、城とも呼べるものでした。加賀の宗徒らは浄土真宗の勢力を拡大させるため、室町時代からこの地の守護職と100年以上にもわたる政争を行ってきました。富樫氏、朝倉氏、上杉謙信など時代とともに相手を変えながら、ついに1580年、織田信長の武将である佐久間盛政に尾山御坊を攻め落とされます。佐久間氏は信長より加賀一国を与えられ、尾山御坊を金沢城と改称し、自身の居城としました。そのため金沢城としての初代城主は佐久間盛政ということになります。

 信長の死後、佐久間氏は羽柴秀吉との戦に敗れ、1583年、金沢城は秀吉の盟友である前田利家のものとなります。利家は金沢城を「尾山城」と改称し、キリシタン大名である高山右近を招いて築城の指導を仰ぎ、堀の拡張、5重の天守閣や多数の櫓の建設など、城の大改造を始め、金沢城の基盤を固めていきました。しかし1602年、天守閣は落雷により焼失し、代わりに三階櫓という櫓が建設されただけで、天守閣の再建はされませんでした。加賀百万石の名にふさわしい絢爛豪華な天守閣をもった城郭だったため、天守閣の再建を望む声が絶えませんでしたが、天守の焼失とともに当時の資料もすべて焼失していたために、再建ができなかったとされています。また天守を焼失したこのころ、この地には「金沢」という地名が定着していたため、尾山城の名前は普及せず、城の名称が金沢城に戻されたとされています。前田家は豊臣政権の天下統一に尽力し、豊臣政権五大老にまで名を連ねました。

  江戸時代に入り徳川家が統治する世となった後、そんな前田家はいつ金沢城の明け渡し、またはお家取りつぶしにあってもおかしくない状況の中、お家存続を第一に考え、徳川秀忠の娘を前田家に輿入れさせるなど、様々な方法で徳川家との縁を固めていきます。その努力が実り、明治維新に至るまでのおよそ300年間、前田氏累代の居城として存続し続けました。

  しかし黒船来航、開国、明治維新に伴い、明治6年(1873年)の廃城令で軍用地として残す存城処分となり、金沢城は陸軍のものとなりました。軍施設が置かれ、建物もそのまま破却されず存続しましたが、1881年の火災により、石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫を残して、歴史的建造物はほとんど焼失してしまいました。第二次世界大戦が終わるまで、城跡は軍施設として利用され、戦後は金沢大学のキャンパスが置かれ、「お城の中の大学」として多くの人に親しまれました。1995年のキャンパス移転を機に城跡の所有権が国から石川県に移り、県は火災で失われた門や櫓、埋め立てられた堀などの復元事業に力を注ぎ、現在も復元事業は続いています。

見どころ

・兼六園(けんろくえん)

前田綱紀の時代に金沢城に隣接するように作られた大名庭園。水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ。廻遊式庭園で、大きな池や築山、お茶屋などを点在させているため、それらに立ち寄りながら全体を遊覧でき、また四季折々の美しさを楽しめる庭園です。

・石川門(いしかわもん)

かつては搦手門(からめてもん)と呼ばれた裏門でした。この門から入った内部は複雑な構造により敵の侵入を鈍らせたり、鉛でできた白い屋根瓦は溶かして鉄砲玉に作り変えて使用できるようにするなど工夫されています。現存する数少ない遺構で、国の重要文化財。

・三十間長屋(さんじゅっけんながや)

もともとは食器などを収納、その後軍備を蓄えた蔵でした。また防壁にもなる機能的な長屋で、屋根瓦には石川門と同様、鉛が使われています。現存する数少ない遺構で、国の重要文化財。

・菱櫓(ひしやぐら)

2001年に復元された三重三階の物見やぐらです。日本古来のボルトや釘をいっさい使わない木造軸組工法が使われています。菱櫓の名前の由来は、建物の平面が菱形になっていることです。

・五十間長屋(ごっじっけんながや)

武器を保管する倉庫として使用されていました。菱櫓と同様に木造軸組工法で2001年に復元されました。

・なまこ壁

壁塗りの様式のひとつで、壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の継ぎ目に漆喰をかまぼこ型に塗る工法で作られた壁です。見た目がナマコに似ているため、なまこ壁と呼ばれています。防火・防水などを目的としてつくられた壁のため、お城にかぎらず町中でも見ることができます。

開園時間

兼六園&金沢城公園(金沢城跡地)

3月1日~10月15日  7:00~18:00
10月16日~2月    8:00~17:00