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ポエナリ城(ドラキュラ城)

ポエナリ城とは、ファガラシュ山脈に近いアルジェシュ渓谷にある城跡です。雄大な絶壁の上に建っています。13世紀にワラキアの最初の統治者によって設けられた要塞です。14世紀ごろ、ポエナリ城塞はバサラブ公国統治者に取って代わられましたが、結局、数十年後城は打ち捨てられて荒廃しました。そして15世紀、ヴラド・ツェペシュ公が城の可能性を再発見し、構造を改造・強化し、ここを彼の主要な要塞のひとつにしました。

ドラキュラ公

ドラキュラ公の別名でも知られているヴラド・ツェペシュ公という人物をご紹介します。

ヴラド3世(ルーマニア語:Vlad Ţepeş、ヴラド・ツェペシュ、又はVlad Drăculea)は1431年に生まれ、1476年に死亡しました。ヴラド3世はトランシルヴァニア地方のシギショアラでヴラド2世(通称:ドラクル=悪魔公)の次男として生まれました。

父は、成長を続けていたオスマン帝国から十字架を守る、ハンガリー王ジギスムントが創設したドラゴン騎士団の騎士に叙任されたため、ドラクルという添え名を与えられました(「Draco」ドラコ「竜」と「Dracul」ドラクル「悪魔」)。ヴラド3世のあだ名「Drăculea」(ドラキュラ)は竜の息子、又は悪魔の息子と意味し、そこに由来していますが、後ほど伝説として広まりました。(ドラキュラ公の生家は今ではレストランになっています)(続きを読む

難攻不落の要塞

ヴラド3世が1476年に死亡しましたが、城はそのあと数十年の間に利用されて、つい15世紀前半に再び無人になり、17世紀に廃墟になりました。その位置と大きさのおかげで、難攻不落な要塞と言われています。しかし、1888年に起きた土砂災害により、城の一部が崩れて、川になだれ落ちました。それでも城は素早く修復され、その城壁と塔は現在まで建っています。

今も城の廃墟に達する道は簡単ではありません。一番上までの石段は全部で1480段もあります。

道の終わりが見えない。。階段が徐々に急になっていきます。。しかし、廃墟の入り口まで辿り着けば、その努力が報われます。周辺の全景を一目で見渡すことができます。あの有名なドラキュラ公がここに住んでいたことを考えれば疲れが吹っ飛ぶでしょう。

ドラキュラの伝説は長年にわたって語り継がれてきました。その伝説のおかげで、ルーマニアのトランシルヴァニア地方が外国の観光客の間で大きな人気を集めています。

吸血鬼伝説の起源は?

ヴラド3世がかつて弟のラドゥが仕掛けた罠にはまり、その弟が権力を握ろうという意図をもってポエナリ城に入城しました。その状況に絶望感を覚えた最初の妻がポエナリ城の塔から投身自殺し、ヴラド3世が忽然と姿を消してしまいました。当時の統治者はヴラド3世と妻の遺体を見つけることができませんでした。その後、ヴラド・ツェペシュの彷徨う姿を見たと主張する人も少なくなかったため、そのように吸血鬼伝説が誕生しました。ヴラド3世は生きていた間も吸血鬼と悪魔だったとか…

ドラキュラ出身地の人々はその伝説を今も大切にしています。

作成:イボナ・ユジビャック(Iwona Jozwiak)